内田 樹

定価: ¥ 798
販売価格: ¥ 798
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おすすめ度:

発売日: 2005-01
発売元: 筑摩書房
発送可能時期: 通常4~5日以内に発送
昔は全然本とか読まない人だった私ですが、最近ようやく読書の楽しみがわかってきたような気がします。ジャンルは特に気にしないで色んな本を読んでますね。今読んでいるのは「先生はえらい (ちくまプリマー新書)」。
本ってオモシロイですよね。「先生はえらい (ちくまプリマー新書)」みたいに、特に今の自分と関係ないジャンルの本でも「へぇ~~」って新たな気付きが得られたりして^^!
そう言えば兄が、この「先生はえらい (ちくまプリマー新書)」を読み終わったら貸して欲しいって言ってたけど、こーゆうの興味あるのか~~とチョット複雑な気分です。ま、いいけど・・・。
「えらい」とは何かを様々な例を出し説明
「尊敬する先生」「尊敬できない先生」。人それぞれ人生の師とする人は違っても、個々の判断において「えらい先生」を決めている。普段、そんなことは意識しませんけど、読んでいてなるほど、そうだなと思う。
本書は、「えらい」とは何かを様々な例を出し、話しを変え説明しようとする「えらい論」とも言えます。途中大きく寄り道もしますが、最後の20項では再度本論に戻るり、なるほどと感心させられた。
「先生がえらい」のではなく「えらいと思った人が先生」
題名で興味をひきつけているが、一般的に題名から予想される内容とはまったく違う。
これは、「教員がいかにえらいか」を述べた本では決してない。
「先生」は「教員」とは別の意味で用いられている。
つまり、自分が「ついていきたい」と思った人が「先生」であり、それは必ずしも「教員」である必要がない。という主張だ。
したがって、「自分はいい先生にめぐりあえなかったから運が悪い」という主張もナンセンスだと斬る。
なぜなら「先生」はもともと自分で探して自分で見つけるべきものだからだ。
教室で待っていたら「私があなたの先生です」といってやってくるものではない。
むしろ教員の存在意義をも脅かす論考であるともいえる。
「先生が何かを教えてくれるはずだ」と受身になるのはやめて、自分から学ばなければ何も学べないという、至極全うな主張をされている。
文体が中学生向けでまどろっこしいが、大人でも考えさせられる「学習論」ではないかと思う。
先生はべつにえらくないんじゃない?
今年の東大現代文の文章に近いと思って読んでみました。
まあ近い感じですね。
東大の方が、中世の「見習い」の関係が成り立たなくなった近代の教育事情の話。
本書が、学びの本質が教えられることにあるのではなくて、自分で学ぶことだということ。
そのために筆者は「先生はえらい」と思え、というけど、「先生がえらいと思うとメリットがある」のと「先生がえらい」のとは別でしょう。
しかも「学校現場の先生」に絞り込むような論理じゃないから、「周りの人を大切にしましょう」ぐらいの簡単なメッセージに落ち着きそうな内容。
まあ子どもが読むならいいかな。
