諏訪 哲二

定価: ¥ 777
販売価格: ¥ 777
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発売日: 2005-03
発売元: 中央公論新社
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オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)は今まで自分ではそれなりに漠然とイメージしていた事がよくわかる本です。いろいろなものがどんどん変わっていっています。このオレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)の本の分野でも同じことです。
今のように世の中の進み方が早いときに「知らなかった」ではさみしいですね。オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)を読んで、新しい今のことを知ればいろいろなことに次の道が見えるかもしれません。
オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)は自分の思っていることを確かめられますし、それより知らなかったことを知ることで対応も考えられるオススメの本です。
オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)は情報をいろいろ知りたい方にオススメの1冊です。私はオレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)の本でいろいろなことを知りました。
自分では知っているつもりでも知らないことは多いですね。今の世の中いろいろなことが早く進んでいくのでちょっとオサボリしていると知らないことがいっぱいになってきます。オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)でちょっと知ってみませんか?
知らないでいると知っていたら!と思うときもしばしば。だから本を読んでいるのですが。インターネットよりいろいろな情報が読みやすくわかりやすくまとめられている本は良いですよ。
オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)はオススメです!
あえて読むには価しない
よい教育は「厳しく」かつ「のびのび」しているものであり、両方の側面を持つべきである。前者は生徒の「社会化」に寄与し、後者は「個性化」に寄与する。また「社会化」は「個性化」に先行して行われなければならない。キリスト教のような絶対的参照軸を持たない日本において、十分に「社会化」する前に、グローバリゼーションの波にのまれ消費主体としての「個」を確立して(させられて)しまっている子どもたちに教育を施すにあたっては、ますます子どもたちをどう「社会化」させるかが重要になっている。
以上が私が読んだ限りにおいての本書における著者の主張。特に異論はない。
が、これだけのことをいうために、生半可な精神分析用語を使ってみたり、紙幅を費やして宮台真司、和田秀樹、上野千鶴子、尾木直樹、村上龍、水谷修各氏に批判を加える必要も特にないように思う。後段の6氏への批判部分は、それぞれの論者の主張、もしくは俎板にのっている論文あるいは書籍に通じていないと面白く読めないし、説得力も感じられない。
村上龍について著者は、「教師やおとなたちの共同体的な規範意識や倫理観によって統制されたからこそ」文学的な感性を開花させることができたのであり、そうでなければ「軟弱な腑抜けの文学好きがひとり誕生しただけであったかもしれない」と想像している。ちょっと面白い想像ではあるが、私は村上龍が社会化した(してしまった)のはむしろ芥川賞をとった後ではないかという気がしている。著者はおそらく『限りなく透明に近いブルー』は読んでないのではなかろうか、そして村上龍がどんな格好で芥川賞の授賞式に臨んだのかも知らないのではなかろうか。(もちろんそんなこと知らなくたって一向に構わない。)
もっとも共感できたのは水谷修について語られた部分だが、それでもいっていることは、あの人はああいう人なのだ、もはや教師ではない、ということに終始し、なぜ「このやり方は水谷氏のみに許されたやり方であ」るのか論理的な説明はなされていないように思う。
著者の教師としての経験から興味深いエピソードもいくつか紹介されているが、具体例をあげた説明には消極的で、あえて観念的に論を進めようとしているのが本書の最大の欠点だろう。他人の論文に依拠するのではなく、具体的事例を元にした方が著者の主張はより説得力をもって述べられたはずだ。著者はおそらく大まじめに、「ことによると、八十年代中葉以降の『オレ様化』した新しい子ども(若者)たちは」「『マルチチュード』の一翼を構成しているのかもしれない」と注記しているが、『<帝国>』を読んでもいない私がいうのも何だが、ギャグとしか思えない。(しかも笑えない。)
その意味で、本書の瑕疵は著者自身というよりも、むしろ編集者に帰せられるべきものと思う。
「木を見て森を見ず」という本
「オレ様化する子どもたち 」というのは、
著者から見た表面的な子供の事である。
生徒の対教師関係が変化しただけという事で子供が根源的に変化したのではないという事である。
子供を取り巻く環境は10年20年で考えると激変し、子供と社会との関係性も
変わらざるを得ない。
教師と生徒という関係も社会関係の中で変わってしまうのも当然だと思う。
それは「教師が悪い」とか「子供が悪い」等、単純な理由ではかたずけられないだろう。
そういう中で、子供の問題行動の奥に隠されたものを知りたいと思い
この本を読んでみたが得られるものはなかった。
著者は、管理教育批判や教師批判に耐えられないらしいが、
著者自身の子供や某新聞等のマスコミへの批判にはヒステリックなまでの
攻撃性が見られる。
それは表面的な管理教育批判や教師批判と表裏一体を成すものという感じであった。
今の時代、教師は本当に大変だと思う。今までの権威が崩壊してしまったので、
教師と生徒の関係性の再構築や、教師の新たな権威を創出するのは並大抵の事ではないと思う。
私自身は教師ではないが、子供と接する事が多い。
彼らは本質的には変わっていないと思うし、真面目で純粋で脆い。
教師という立場から子供を見るという事は楽だが、これからはそこに拘るべきではないだろう。
私の知人の教師はボランティアなどをして、その体験を元に教師としての自分を見つめ
リアルと格闘し続けていて頭の下がる思いだ。
教師がみな著者のような考えを持っていると思ってほしくはない。
煽情的なレッテル張りの新書の一つにすぎないと思ったのが正直な所だ。
『13歳のハローワーク』は結局『DEATH NOTE』と化すのか?
申し訳ないのだが本書で著者のことを初めて知った。何故かといえば、教育問題に関してメディアへの露出が多いのは著者が本書で批判している宮台真司、和田秀樹、尾木直樹、村上龍の各氏だからである。
著者によれば教育に必要なことは、市民社会的「等価交換」ではなく、共同体的「贈与」である。そして「等価交換」は解りやすいが「贈与」は解り難い(=見えない)。深刻なのは教育問題の議論の成り立ち方が上記の人たちの顔ぶれを見ても分かるように「等価交換」のような身振りを演じてしまっているということだ。「オレ様」が「オレ様」を擁護しているような有様が教育問題の議論を不可能にしてしまっている。実践に希望を託すしかないのだが、「この国には希望だけがない」らしいよ。
