小阪 修平

定価: ¥ 735
販売価格: ¥ 735
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おすすめ度:

発売日: 2006-08
発売元: 筑摩書房
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好きなものは好きでいいじゃないか!といきなり結論出してしまうのですが‥
思想としての全共闘世代 (ちくま新書)って読みました?結構すごいでしょ。いや凄いって言い方がいいのか悪いのか、わかりませんが、思想としての全共闘世代 (ちくま新書)の評価って私の場合どうも、こうなんていうか言葉にならんのです。
なので、冒頭のような結論を先に吐いちゃうのです。
思想としての全共闘世代 (ちくま新書)って好き嫌いで論じていいのかどうかわかりませんが、まあ個人的意見ですから許してやってくだされ。
でも、私は面白いと思うけどなあ。
ごく私的な意見かもしれないけれど、ちょっとしたところに「お!」と思うような発見があったり、
「へえ」と思うような一文があったり、著者の小阪 修平の力量が、そこここに現れています。
思想としての全共闘世代 (ちくま新書)はそんな部分もあったかと思うと、全体的に一本の筋もしっかり通っています。
そういう意味では、思想としての全共闘世代 (ちくま新書)はとてもバランスの取れた本なのじゃないかと思います。
だから、いい意味で失敗が無い本だと思ったりもします。こいつはオススメですよ。
しみじみしてしまった
今年の夏、還暦で亡くなった著者の、これは遺作にあたる。
率直に言えば、私は小阪修平という人に、それほどの思い入れがあるわけではない。と言うよりむしろ、どこかで軽く見ていたところがある。
思想関係の早分かり本を数冊読んで、込み入った話をスッキリした図式にまとめる才は感じた。でも、その図式に動かされるようなことはなかった。小さな文章にもいくつか目を通したが、語り口は「飄々とした」雰囲気を醸し出しつつ結局は観念臭が強く、力んだ議論は肌に合わなかった。69年5月に東大駒場で行われた三島由紀夫との討論会の記憶を特権化する傾向があるのにも、少々辟易した。
ただ、実は一度だけこの人が話すのをじかに聞いたことがあって、風貌は本書の著者近影そっくりで(当り前か?)、語り口はやっぱり「問題」を「もんだい」と平仮名に開くような奇妙な平易さを漂わせていて、ああ、こういう人なんだと無意味な納得をした。そういう縁とも言えない縁があって、今年の夏に亡くなったと聞いたものだから、この本を手に取った。
で、私は小阪修平の著作を少ししか読んでいないけれど、もしかするとこの本は彼の一番の作品ではないかと思う。自分の体験に即して語られる6章までは、読んでいて心に響いてくるものがあった。ただ、80年代以降を論じだすと、著者は「わからない、わからない」と繰り返し呟き、実際話は身に沁みない、観念で切るような方向に行ってしまっている…と、私は思う。でも、小阪修平という人が、一番素直に表れている本であることは、きっと間違いない。
全共闘経験の「つかまれてしまった」という感覚
「思想としての全共闘世代」というタイトルではあるが、もちろん具体的にそのような思想がある訳ではなく、著者の大学入学から現在に至る個人史と時代をオーバーラップさせながら、“全共闘の意味”についてまさに“個人的な視点から”語っている本である。そして、そのようなアプローチこそが“全共闘的”なのだ、ということも読んでみるとわかる。
読み始めは、なんか自己弁護的だな、見方が手ぬるいなといった感想も持ったのだが、読み進めていくと、“全共闘運動”に対する誤解が僕の側にあったのかもしれないと思った。著者も書いてるように“三派全学連と全共闘”が僕の中ではごっちゃになっている部分があったし、内ゲバや連赤のリンチ、あさま山荘、よど号、三菱重工爆破といった先鋭化し大衆運動からかけ離れてしまってからの“過激派”のイメージがやはり圧倒的なのである。何よりも、全共闘経験の「つかまれてしまった」という感覚は、著者の語りによって、はじめて理解出来たものだ。これまでにこんな、まるで“波に飲まれてしまいました”といったような受動的で一見、無責任にも感じる全共闘語りは聞いたことがなかったのだけど、たぶん、それは率直な実感なのだろうと思うし、その分信じることが出来る。そして、「全共闘の意味とは、ストレートに伝達され言表されたものではなく、いったん水面下にもぐり、ふたたび出てきた影響や生き方にあるのだと思う」という考え方も。
“全共闘”については、団塊世代がノスタルジックに語ったり、知らない世代がオタク的に、トリビアルに語ったりすることには、どうしても違和感、拒絶感を持ってしまうのだけど、本書には、“全共闘という方法論の可能性”を感じることが出来たし、最終章でバタバタッと具体的な方向性が記されていたと思うので、その敷衍を期待したい。
全共闘経験の現在
革共同的でも、連赤的でもなかった「全共闘」的なるもののありようを描出すること、それが本書の目的だろう。もうひとつ目的があるとすれば、その全共闘世代の現在とこれからが、これからのグローバル化の時代にあらためて本来ある「精神」することが出来るかどうかだろう。本書のいいところは、「武勇伝」的な語りをしないこと。概して、この手の話はどこかで、ゲバルト礼賛論に陥り、「つっぱってるぜ」というところが売りになるからだ。こうした「夜の語り」に下の世代がうんざりさせられてきたことに、著者はきちんと配慮している。また、一般的に全共闘は戦後民主主義との断絶性が強調されるが、著者はむしろそれとの連続性を打ち出すところも特徴的だ。自発性と倫理観に強く拠った全共闘運動は、一方では市民運動のなかにそのエネルギーを継承させていき、他方で企業社会に統合されていく。全共闘運動を単なる挫折と捉えずに、それがどのようにその後の社会の中で息づいているのかを、本書は謙虚な姿勢でとらえようとしている。
この総括は、定年を迎える全共闘世代に迎え入れられるだろうか、新しい世代にとどくだろうか?
